横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)1831号 判決 1990年8月28日
原告
生出佳子
被告
笠原明雄
ほか四名
主文
一 被告笠原明雄及び同笠原秀幸は、原告に対し、各自二三一万一八七八円及びこれに対する昭和六一年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告安田火災海上保険株式会社は、原告の被告笠原明雄あるいは被告笠原秀幸に対する本判決が確定したときは、原告に対し、二三一万一八七八円及びこれに対する昭和六一年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告の被告笠原明雄、同笠原秀幸及び同安田火災海上保険株式会社に対するその余の請求並びに被告学校法人慈恵大学及び同医療法人社団三友会に対する請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告と被告笠原明雄、同笠原秀幸及び同安田火災海上保険株式会社との間に生じた分については、これを五分し、その四を原告の、その余を被告笠原明雄、同笠原秀幸及び同安田火災海上保険株式会社の各負担とし、原告と被告学校法人慈恵大学及び同医療法人社団三友会の間に生じた分については、すべて原告の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告笠原明雄、同笠原秀幸、同安田火災海上保険株式会社は、原告に対し、各自金一五三一万九六六二円及びこれに対する昭和六一年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告学校法人慈恵大学、同医療法人社団三友会は、原告に対し、各自金四〇〇万円及びこれに対する昭和五八年九月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
(一) 日時 昭和五六年四月一二日午後五時頃
(二) 場所 横浜市神奈川区立町二三、国道一号線先路上
(三) 加害車 被告笠原秀幸(以下「被告秀幸」という。)所有の普通乗用自動車
運転者 被告笠原明雄(以下「被告明雄」という。)
(四) 被害車 普通貨物自動車
運転者 生出雅哉
同乗者 原告
(五) 態様 渋滞で停車中の被害車に、加害車が追突。
(六) 原因 被告明雄の脇見運転
2 原告の受傷
被害車の助手席に同乗していた原告は、本件事故により、頭部外傷、外傷性頸部症候群、左半身知覚異常、上下肢不全麻痺等の重傷を負つた。
3 原告の治療経過
原告は、
(一) 昭和五六年四月一二日から同年五月二〇日まで、被告学校法人慈恵大学(以下「被告慈恵大学」という。)の附属病院(以下「慈恵医大病院」という。)に通院した。
(二) 同年五月二一日から同年六月一三日まで、右慈恵医大病院に二四日間入院した。
(三) 同年六月一五日から同年六月一八日まで、被告医療法人社団三友会(以下「被告三友会」という。)の経営する戸塚中央病院に四日間入院した。
(四) 同年七月一四日から昭和五七年四月二七日までは、慈恵医大病院と並行して、訴外青木整形外科に通院した。
(五) 同年四月二七日から同年八月四日まで、訴外財団法人河野臨牀医学研究所附属第三北品川病院(以下「北品川病院」という。)に一〇〇日間入院した。
(六) 同年八月九日から同年一二月二六日まで、訴外箱根温泉整形外科診療所に一四〇日間入院した。
(七) 同年一二月二七日より昭和五九年一二月二七日まで、北品川病院に通院した。
4 責任原因
(一) 被告明雄の責任
被告明雄は、脇見運転により本件事故を発生させたものであり、民法七〇九条による不法行為責任を負う。
(二) 被告秀幸の責任
被告秀幸は、加害車の所有者で、加害車を自己の運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による運行供用者責任を負う。
(三) 被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田火災」という。)の責任
被告秀幸(被保険者)は、被告安田火災(保険者)との間に、本件事故を惹起した加害車両につき、本件事故発生日を保険期間内、保険金額を七〇〇〇万円とする自動車賠償責任保険契約を締結しているところ、右当事者間の自家用自動車保険普通保険約款の第六条一項には、「対人事故によつて被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権者は、当会社が被保険者に対して、填補責任を負う限度において、当会社に対して損害賠償の支払を請求することができる。」と規定されているので、原告は、右条項により、被告安田火災に対して直接請求権を有するものである。
(四) 被告慈恵大学の責任
被告慈恵大学に雇用されている慈恵医大病院第二内科の田村展一医師(以下「田村医師」という。)は、原告の胸痛と本件交通事故との因果関係を認めていたにもかかわらず、故意に「神経症による」との右因果関係を否定する趣旨の診断書を作成した。そのため、原告は、被告三友会戸塚中央病院を強制退院させられ、被告安田火災からは本件因果関係を否定され、本訴訟の提起を余儀なくされた。右田村医師の行為は、医師として許されない不法行為であり、同人の使用者である被告慈恵大学は、民法七一五条の使用者責任を負うというべきである。
(五) 被告三友会の責任
被告三友会戸塚中央病院の代表者理事である杉浦悟郎(以下「杉浦院長」という。)は、昭和五六年六月一八日当時、原告が到底一人では歩けない状態で入院の必要性があつたにもかかわらず、田村医師の「原告の主訴は神経症であつて交通事故とは関係ない」との診断を軽信し、幻惑されて、「ここは精神病院ではない。サツサと出ていつてくれ。」などと無理に原告を退院させ、原告に対して耐えがたい精神的苦痛を与えた。右の杉浦院長の行為は、医師法一九条一項の診療義務に違反する不法行為であつて、被告三友会は、民法四四条の不法行為責任を負うというべきである。
なお、被告慈恵大学と被告三友会の責任は、共同不法行為となる。
5 本件交通事故による損害
(一) 積極損害
(1) 治療費 一五六万六八六二円
<1> 昭和五七年四月二七日から同年八月四日まで
北品川病院 五一万〇三〇六円
<2> 同年八月九日から同年一二月二六日まで
箱根温泉整形外科診療所 七一万二八二二円
<3> 昭和五八年一月五日から同年六月三〇日まで
北品川病院 八万四七五一円
<4> 同年七月一日から昭和五九年一二月二七日まで
北品川病院 二五万八九八三円
(2) 入院雑費 二六万八〇〇〇円
但し、一日当たりの入院雑費一〇〇〇円に入院日数二六八日を乗じた額。
(3) 通院交通費 四二万三四〇〇円
<1> 慈恵医大 二五万六〇〇〇円
但し、自宅から病院までの片道のタクシー代八〇〇〇円に通院回数三二回を乗じた額
<2> 青木医院 三万〇四〇〇円
但し、自宅から病院までの往復のタクシー代七六〇円に通院回数四〇回を乗じた額
<3> 北品川病院 一三万七〇〇〇円
但し、国電品川駅から病院までの往復のタクシー代一〇〇〇円に通院回数一三七回を乗じた額
(4) 家政婦代 八五万五〇〇〇円
但し、原告が、本件事故によりほとんど家事をできなくなつたことからやむなく家政婦を依頼して支出した費用。
(5) 弁護士費用 二〇〇万〇〇〇〇円
(二) 休業損害 五二〇万六四〇〇円
(1) 事故日から最終的退院時(昭和五七年一二月二六日)までは、三二五万四〇〇〇円(一〇〇パーセント労働能力喪失)。
(計算式)
16万2700円×20か月=325万4000円
(2) 退院後、症状固定(昭和五九年一二月二七日)までは、一九五万二四〇〇円(五〇パーセント労働能力喪失)。
(計算式)
16万2700円×24か月×0.5=195万2400円
(三) 慰謝料 五〇〇万円
(四) 以上、合計一五三一万九六六二円
6 強制退院に伴う精神的損害 四〇〇万円
被告慈恵大学及び同三友会の共同不法行為によつて原告に生じた精神的損害をあえて金銭に見積もれば、四〇〇万円が相当である。
よつて、原告は、被告明雄、同秀幸、同安田火災(「以下「被告明雄ら」という。)に対し、各自一五三一万九六六二円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告慈恵大学、同三友会に対し、各自金四〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五八年九月八日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
(被告明雄ら)
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。
3 同3のうち、(一)ないし(四)の事実は認め、(五)ないし(七)の事実は知らない。
4 同4のうち、(一)及び(二)の事実並びに(三)の事実中、被告秀幸が被告安田火災との間において、加害車両について、本件事故日を保険期間内、保険金額を七〇〇〇万円とする自動車保険契約を締結している事実は認め、その余は争う。
5 同5の事実は否認する。
原告の主張する損害は、本件事故と相当因果関係のないものである。
(被告慈恵大学)
1 請求原因1のうち、(一)ないし(五)の事実は認め、その余は知らない。
2 同2のうち、原告が、頭部外傷、外傷性頸部症候群、左半身知覚異常等の傷害を受けた事実は認めるが、その余(上下肢不全麻痺等の重傷を受けた事実等)は知らない。
3 同3のうち、(一)ないし(四)の事実、(五)の事実中、原告が北品川病院に入院治療していた事実及び(六)の事実中、原告が箱根温泉整形外科診療所において治療を受けた事実はいずれも認めるが、その余は知らない。
4 同4(四)の事実は否認する。
5 同6は争う。
(被告三友会)
1 請求原因1及び2の事実は知らない。
2 同3のうち、(三)の事実は認め、その余は知らない。
3 同4(五)の事実は否認する。
4 同6は争う。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 交通事故の発生
1 請求原因1の(一)ないし(五)の事実は、原告と被告明雄ら及び被告慈恵大学の間で争いがなく、同(六)の事実は、原告と被告明雄らの間で争いがない。
2 右争いのない事実に、成立に争いのない甲第七号証(但し、田尻健作成の診断書を除く。)、被害車両の写真であることに争いのない乙第四号証の一ないし四、原告本人尋問(第一回)の結果を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 被告明雄は、請求原因1の(一)の日時に、加害車に婚約者を同乗させ、時速約四五キロメートルの速度で被害車の後方を追従して走行していたところ、請求原因1の(二)の場所に差しかかつた際、反対車線を進行してきた約三台の自転車が自車線の方に斜めに進行してくるのに気をとられたため、被害車が渋滞で減速、停止したことに気づくのが遅れ、約一五・九メートル手前で気づいてブレーキをかけたが間に合わず、被害車の後部中央に自車の前部左側を衝突させた。
(二) 事故現場道路は、平坦な舗装道路で、見通しはよく、事故当時、路面は乾燥していた。
(三) 加害車は、自家用普通乗用自動車(日産セドリツク・品川五七に三六三七)であり、本件衝突で、前バンパー左端、左前フエンダー先端部にわずかに凹損が生じた。
(四) 被害車は、自家用普通貨物自動車(三菱ギヤラン・品川四五と七七二〇)であり、原告の次男である生出雅哉が運転し、助手席に原告が同乗していたが、本件事故により、後バンパーの中央左側及び後面ドアがわずかに凹損した。
(五) 原告は、反対車線を自転車に乗つた少年たちが通り過ぎるのを右後部窓から見ようと体を右側にひねつた姿勢でいる時に、本件事故にあい、その直後から、頭、頸及び左肩の痛みを訴えていた。
3 右認定事実によれば、本件事故の態様は、被害車が渋滞のため停止したところに、後続の加害車が脇見運転のためブレーキをかけるのが遅れて追突したものであるが、車体の損傷の程度などから考えて、その衝撃の程度は比較的軽度であつたことが推認される。
二 原告の受傷
前記一認定の事実及び原本の存在及び成立ともに争いのない丙第二号証によれば、原告は、本件事故により、頸部挫傷、左肩打撲の傷害を受けたことが認められる。
これに対し、乙第一一号証の林洋作成の鑑定書中には、本件事故により被害車に生じた衝撃加速度は〇・七Gと推定され、この衝撃では軽い鞭打ち損傷も起こりえない旨の記載があるが、右鑑定は、被害車は本件事故により前方に押し出されていないとの前提のもとに右衝撃加速度を推定しており、右前提自体に疑問があつて採用することができない。(右鑑定は、前掲甲第七号証中の実況見分調書の被害車の最終停止位置と衝突地点との距離が被害車の運転席から後面までの距離に一致することをその根拠にするが、甲第七号証(刑事記録)中には、被害車が本件追突によつて前方に押し出されたか否かについての明示の記載はないのであるから、事故後の実況見分では、この点を特に意識することなく最終停止位置を基準として衝突地点の特定がなされた可能性も十分考えられ、右実況見分調書の記載のみをもつて衝撃加速度を〇・七Gと推定することには無理があると言わなければならない。)
もつとも、前記認定のとおり、本件追突による衝撃の程度は比較的軽度であつたことが推認されるのであるが、経験則によれば、人体の受ける損傷の程度は加えられた衝撃にある程度は比例するものの、追突時の姿勢等にも関係し、軽度の衝撃によつて損傷を起こす例もないわけではないところ、本件では、原告は助手席に座りながら右斜め後方を向くという不自然な姿勢でいるときに本件事故に遭遇したものであること、また、事故直後から頭、頸及び左肩の痛みを訴えていることに照らし、衝突が軽度であつたことをもつて、原告の受傷を否定することはできないというべきである。
三 被告明雄らの責任原因
1 請求原因4(一)及び(二)の事実は、原告と被告明雄らの間で争いがないから、被告明雄は、民法七〇九条により、被告秀幸は自賠法三条により、それぞれ原告が本件事故により蒙つた損害を賠償する責任がある。
2 請求原因4(三)の事実中、被告秀幸が被告安田火災との間において、加害車両について、本件事故日を保険期間内、保険金額を七〇〇〇万円とする自動車保険契約を締結している事実は原告と被告安田火災の間で争いがなく、成立に争いのない乙第八号証の一、二によれば、同4(三)のその余の事実及び被告明雄及び被告秀幸が右契約の被保険者であることが認められるから、被告安田火災は、自家用自動車保険普通保険約款六条一項、二項に基づき、被告明雄あるいは被告秀幸が原告に対して負担する前記損害賠償債務を、原告の被告明雄あるいは被告秀幸に対する本判決が確定することを条件として、原告に対し負担すべき責任がある。
四 原告の症状、事故との因果関係、賠償額の限度
1 請求原因3の事実中、(一)ないし(四)は、原告と被告明雄ら及び同慈恵大学の間で、また、同(三)は原告と被告三友会の間でそれぞれ争いがなく、右争いのない事実に、前掲丙第二号証、原告と被告明雄ら及び同慈恵大学の間で成立に争いがなく、原告と被告三友会の間では弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一ないし第四号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証の一、第六号証の一、第四〇号証、乙第九号証、丙第一号証、第三ないし第五号証、原告と被告明雄ら及び同慈恵大学の間で原告の胸部レントゲン写真であることに争いがなく、原告と被告三友会の間では弁論の全趣旨により原告の胸部レントゲン写真であることが認められる甲第八ないし第一一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二七号証の一、二、第三三号証の一ないし三、第三八号証の一、二、乙第三号証、戌第五号証の一ないし三、弁論の全趣旨により原本が存在し、真正に成立したものと認められる戌第一ないし第三号証、第四号証の一、二、成立に争いのない戌第六号証、証人赤津博美、同神尾正己、同田村展一、同杉浦悟郎の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果(一部)及び鑑定嘱託の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。原告本人の供述中右認定に反する部分は前掲証拠に照らして措信せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告は、本件事故当日である昭和五六年四月一二日から同年五月二〇日まで、慈恵医大病院に計一三回通院し、次のような訴えをなした。
四月一二日 左手に痛み、頸椎に叩打痛と圧痛
一四日 左肩関節~左上腕にかけて痛み、左肩関節運動痛
一八日 左胸部痛、悪心、左第二・三肋骨圧痛
二一日 悪心、左肩関節~左肘に痛み、頸部痛、左第二・三肋骨圧痛
二五日 嘔吐、左第二・三肋骨圧痛、左肩関節運動痛
二八日 左側胸部に痛み、左第七肋骨圧痛
五月二日 左第七肋骨圧痛
六日 左胸部痛(痛いより苦しい)、悪心
九日 左胸部痛
一二日 悪心、左胸部痛、左上半身痛、左側胸部ほてり
一六日 左手にしびれ感、左側胸部ほてり、左肩関節痛
同病院整形外科の田尻健医師は、原告に対し、昭和五六年四月一四日、約一週間の加療を必要とする頸部挫傷、左肩打撲との診断をなし、その後、主に内服薬と湿布薬を処方する治療を行つたが、同年五月一六日、原告の胸部痛の訴えに関し、同病院の内科に原告の診療を依頼した。
(二) 原告は、右依頼に基づいて、同病院の第二内科で外来診察を受けたところ、外傷性胸膜炎が疑われたため、昭和五六年五月二一日から同年六月一三日まで、同内科に入院し、胸部レントゲン写真、心電図、肺機能、血液検査その他の諸検査を受けたが、胸痛の原因となりうる器質的疾患は認められなかつた。そこで、同科の田村医師は、同年六月一三日、診察の過程で明らかとなつた原告の自己顕示的、誇張的な性格をも考慮に入れ、原告の自覚症状としての胸痛の原因は、神経症によるものとの診断をなし、原告の左上肢のシビレ感、脱力感などの自覚症状はなお持続していたが、右同日、同病院を退院させることとした。
田村医師が右の診断結果を説明したところ、原告は強く反発し、交通事故により重大な変化が体に生じていると主張したが、ひとまず退院した。
(三)(1) 原告は、昭和五六年六月一五日、警友病院を受診しようと外出した途端に歩けなくなつたということで、救急車で被告三友会の経営する戸塚中央病院に運ばれ、そのまま同病院に入院した。
(2) 原告は入院当初、歩行時後頭部にひびく、左上肢にシビレ感、疼痛があるなどの症状を訴えていたが、翌一六日から自律神経安定剤(セルシン)の投与等を受けたところ、同日の夜には右症状はかなり軽快した。
(3) 原告は、同月一六日、同病院の内科医である杉浦院長の診察を受け、生化学検査、胸部レントゲン写真、心電図、尿検査などの諸検査を受けたが、検査結果上はなんらの異常も認められず、翌一七日、同病院整形外科の池田医師の診察を受けたがやはり他覚的所見は認められなかつた。
(4) 同年六月一八日、杉浦院長は、田村医師と電話で話した折、原告の症状が神経症によるものであるとの同医師の所見を聞き、それが自己の所見と一致していたことから、もはや原告について入院を継続する必要はないと判断し、自ら原告の病室に赴き、原告に対し、退院できる旨を告げた。
(5) これに対し、原告は、強制退院であるとして猛烈に反発し、大声を出して騒いだり、一旦病院の外に出て警察官を呼ぶなどして抵抗したが、結局、右同日、同病院を退院した。
(6) 原告は、退院後、戸塚中央病院に対し、約一〇回にわたり、右退院は強制退院である旨の抗議の電話を掛けた。
(四) 原告は、同年六月二七日から昭和五七年四月二七日まで、左上肢の痛みなどを訴えて一か月に約一回の割合で計一二回慈恵医大病院整形外科に通院して治療を受けるかたわら、昭和五六年六月二九日から昭和五七年四月二四日まで、自宅近くの訴外青木整形外科に計四〇回通院し、理学療法及び頸椎牽引などの治療を受けた。
また、原告は、その間の昭和五六年八月二五日以降三回慈恵医大病院脳神経外科を受診し、同年一〇月五日、同科の神尾正己医師により、左肩関節運動制限、左握力低下、左半身のシビレ感があるが、頭部レントゲン撮影、CTスキヤン、脳波上では異常を認めず、頭部外傷、外傷性頸部症候群との診断を得た。
(五) 原告は、昭和五七年四月二七日、慈恵医大病院からの帰院途中に、北品川病院を受診し、左胸部痛(胸の中でクキンクキンと音がする)、悪心(食欲がない)、頸部痛(頭は全く動かせない)、左上肢シビレ(物を持てない、九〇度以上挙上できない。)、頭痛(場所はいろいろ、時に触れなくなるほど)、歩行障害、左右の下肢のシビレなどを訴え、同病院の赤津博美医師(以下「赤津医師」という。)により、頭部外傷、外傷性頸部症候群、左半身知覚異常、左上下肢不全麻痺の疾患により、向後約六か月間の安静治療を要する見込みとの診断を得て、同日から同年八月四日まで一〇〇日間同病院に入院し、内服薬投与、理学療法などの治療を受けた結果、頭痛感、頸部~肩~背部痛の自覚症状は漸次軽減した。(しかし、入院当初からの左上肢循環障害は持続した。)
(六) 原告は、昭和五七年八月九日から同年一二月二六日まで、赤津医師の指示により、医療法人箱根温泉整形外科診療所に入院し、理学療法などの治療を受けた。
(七) 原告は、昭和五七年一二月二六日から昭和五九年一二月二七日まで、北品川病院に通院し治療を継続した(実通院日数一四一日)が、昭和五九年一二月二七日に、赤津医師より、緩解の見通しなしとして症状固定と診断された。
2 前掲甲第四〇号証、証人杉浦和朗、同黒木宣夫の各証言、鑑定嘱託の結果によれば、昭和六一年九月二四日から同月三〇日まで東京労災病院で実施された諸検査の結果、原告は、頭重感、頸部運動制限、左項部に圧痛、左胸部と左上肢に痛み、左上肢のしびれ(感覚低下)を訴えたが、頭部CTスキヤン、脳波、胸部レントゲン写真、深部腱反射などに異常は見られず、僅かに、左肩関節周囲炎が認められただけであること、原告の性格は、外界の事象を直観的、感覚的にとらえ、主観的に意味づける傾向が強く、攻撃的で要求水準が高く、自己顕示的、他罰的であり、病的レベルではないが、自己愛的な性格特性とヒステリー性傾向を有することがそれぞれ認められる。
3 以上1、2で認定した事実に弁論の全趣旨を総合すると、受傷当日の昭和五六年四月一二日から症状固定日の昭和五九年一二月二七日までの原告の症状は、その愁訴の多彩さや程度の強さに比較して、それを裏づける客観的所見が極めて乏しいことが特徴的であり、多分に原告の心因性反応によるものであることが認められる。そして、右心因性のものを除外すれば、原告の前記二の受傷自体は、受傷後一ないし二週間で治癒する程度の軽度のものであつて、その後、昭和五九年一二月二七日の北品川病院における症状固定の診断まで、約三年八か月にわたり治療が長引いたのは、右受傷を契機として、原告の前記特異な性格から外傷性の神経症に罹患し、胸部痛、左上肢シビレなどの頑固な神経症状を発するに至ったものと認めるのが相当である。
これに対し、原告の病名に関し、甲第四号証、第五号証の一及び丙第五号証中には、「外傷性胸膜炎の疑い」、甲第三号証中には、「頭部外傷、外傷性頸部症候群」、甲第一号証、第二号証、第二七号証の一、二などには、「頭部外傷、外傷性頸部症候群、左半身知覚異常、左上下肢不全麻痺」、甲第二二号証中には、「左ゆ着性胸膜炎、左上下肢の運動障害」との記載があるが、これらは、いずれも、その時々の担当医師が、原告の主訴に対応した診断名をそれぞれつけたものであつて、必ずしも右認定事実と矛盾するものではないというべきである。
4 そして、以上の原告の症状のうち、当初の受傷が本件事故と因果関係があることは当然であるが、心因性のものといえども、本件事故を誘因として発現したものであり、交通事故による受傷の結果神経症となる事例は必ずしも稀有でないことは当裁判所に顕著な事実であるから、心因的な要因(神経症)に基づく症状であるからといつて、直ちに本件事故との因果関係を否定することは相当でないというべきである。
5 しかしながら、前記認定事実、とりわけ、原告の症状は多分に心因性のものであること、事故後一年を経過した後である昭和五七年四月二七日に北品川病院で、頭部外傷、外傷性頸部症候群、左半身知覚異常、左上下肢不全麻痺により向後約六か月間の安静治療を要する見込みとの診断を得て右病院に転院してから、約二年八か月間の長期にわたり同病院で対症的治療を受けてきたことなどに照らすと、本件事故による受傷及びそれを契機として原告に生じた損害の全てを被告明雄らに負担させることは公平の理念に照らして相当でない。そこで、原告の本件事故により受けた傷害は、前記昭和五九年一二月二七日に治癒したものであるが、前認定の事実及び本件訴訟に顕れた諸般の事情に鑑み、右傷害によつて発生した損害のうち五割を民法七二二条の過失相殺の規定の類推により、減額するのが相当であるというべきである。
五 本件事故による原告の損害
1 積極損害
(一) 治療費 二一七万二八五三円
原告本人尋問(第二回)の結果及び同結果により真正に成立したものと認められる甲第二八ないし三〇号証、第三一号証の一ないし一九、原本の存在及び成立に争いのない乙第六号証によれば、本件事故により原告が支出した治療費は、以下の通り合計二一七万二八五三円であることが認められる。
(1) 慈恵医大病院 五七万五〇一三円
但し、昭和五六年四月一二日から昭和五七年五月二五日までの間の入通院費用(入院二四日、通院実日数三一日)。
(2) 訴外青木整形外科 三万〇九七八円
但し、昭和五六年六月二九日から昭和五七年四月二四日までの間の通院費用(通院実日数四〇日)(右(1)(2)の各治療費については、原告は請求していないが、被告明雄らにおいて弁済していたものであるから、前記過失相殺類推の前提として算定する。)
(3) 北品川病院 八五万四〇四〇円
但し、昭和五七年四月二七日から昭和五九年一二月二七日までの入通院費用(入院一〇〇日、通院実日数一三七日)。
(4) 箱根温泉整形外科診療所 七一万二八二二円
但し、昭和五七年八月九日から同年一二月二六日までの入院費用。
以上(1)~(4)の合計二一七万二八五三円
(二) 入院雑費 一八万七六〇〇円
前記認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告は、慈恵医大病院に二四日間、戸塚中央病院に四日間、北品川病院に一〇〇日間、箱根温泉整形外科診療所に一四〇日間、合計二六八日間入院したことが認められ、右一日あたりの入院雑費は七〇〇円と認めるのが相当であるから、本件事故と相当因果関係のある入院雑費は、一八万七六〇〇円となる。
(三) 通院交通費 六万六八八四円
原告本人尋問(第二回)の結果及び同結果により真正に成立したものと認められる甲第三五号証の一ないし六二によれば、原告が慈恵医大病院、青木整形外科及び北品川病院に各通院するため、タクシー代として昭和五六年四月一二日から昭和五九年四月二八日までの間に合計三三万四四二〇円を支出したことが認められる。ところで、前記認定の原告の症状や通院の状況からすると、通院の際、電車、バスの外、タクシーを利用することもある程度までは必要であつたと認められるので、右必要性の程度、タクシー代の額(自宅から慈恵医大病院までは、片道約八〇〇〇円。)等を勘案し、右原告が支出したタクシー代三三万四四二〇円の二割に当たる六万六八八四円をもつて、本件事故と相当因果関係のある通院交通費用の総額と認めるのが相当である。
(四) 家政婦代 〇円
原告本人尋問(第二回)の結果及び同結果により真正に成立したものと認められる甲第三六号証の一ないし一三によれば、原告は本件事故により家事に支障をきたし、昭和五六年五月から昭和五七年三月まで、家政婦を雇い、その報酬として合計八五万五〇〇〇円を支出したことが認められるが、右は原告の休業を補うための支出であつて、本来原告の休業損害でまかなわれるべき性質の損害であるから、休業損害の外にこれを認容することはできない。
2 休業損害
(一) 入院期間中の損害 一四九万一一九〇円
前記認定事実及び成立に争いのない甲第三七号証及び原告本人尋問(第二回)の結果によれば、原告は、本件事故当時四七歳の専業主婦であつたところ、昭和五六年四月一二日から同五七年一二月二六日までに、合計二六八日間入院し(昭和五六年…二八日間、同五七年…二四〇日間)、その間、家事労働に従事することができなかつたことが認められ、昭和五六年及び五七年の賃金センサスによる女子労働者の企業規模計・学歴計・全年齢平均賃金は年額それぞれ一九五万五六〇〇円、二〇三万九七〇〇円であるから、右期間中の休業損害は、次の計算式のとおり一四九万一一九〇円となる。
(計算式)
<1> 195万5600円÷365日×28日=15万0018円
<2> 203万9700円÷365日×240日=134万1172円
<1>+<2>=149万1190円
(二) 通院期間中の損害 八七万三二〇〇円
原告の症状固定日までの通院期間中の休業損害について考えるに、前記認定の原告の治療の経過に鑑みると、原告は、右期間中(昭和五六年…二三六日間、昭和五七年…一二五日間、昭和五八年…三六五日間、昭和五九年…三六二日間、合計一〇八八日間)、前記傷害により、家事労働に制約を受けたが、その程度は一四パーセントを下回ることはないと認めるのが相当である(右認定に反する原告本人尋問(第二回)中の供述は、前掲各証拠に照らしてにわかに措信できない。)。そして、昭和五六年、五七年、五八年、五九年の賃金センサスの女子労働者の企業規模計・学歴計・全年齢平均賃金は年額それぞれ一九五万五六〇〇円、二〇三万九七〇〇円、二一一万〇二〇〇円、二一八万七九〇〇円であるから、右期間中の休業損害は、次の計算式のとおり八七万三二〇〇円となる。
(計算式)
<1> 195万5600円÷365日×236日÷0.14=17万7021円
<2> 203万9700円÷365日×125日×0.14=9万7793円
<3> 211万0200円×0.14=29万5428円
<4> 218万7900円÷366日×362日×0.14=30万2958円
<1>+<2>+<3>+<4>=87万3200円
3 慰謝料 一五〇万円
本件事故の態様、原告の傷害の程度、治療の経過その他本件にあらわれた諸般の事情を考えあわせると、原告の慰謝料額は、一五〇万円とするのが相当であると認められる。
4 以上1~3の損害を合計すると、六二九万一七二七円となる。
六 減額
前記のとおりの事情であるから、原告の心因性を理由に右損害額から五割を控除すると、残額は、三一四万五八六三円となる。
七 損害の填補 一〇四万三九八五円
原告が、右損害金の一部として被告明雄から一〇万円の支払を受けていることは、原告と被告明雄らとの間で争いがなく、前掲乙第六号証及び証人金子一夫の証言によれば、原告が被告安田火災から前記損害金のうち九四万三九八五円の填補を受けていることが認められ、右認定に反する証拠はない。
右三一四万五八六三円から右損害の填補分を控除した残額は、二一〇万一八七八円となる。
八 弁護士費用 二一万円
原告が本件訴訟を原告訴訟代理人に委任したことは本件記録上明らかであり、本件事案の内容、後記の請求認容額等の事情を斟酌すると、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用としては、二一万円をもつて相当と認める。
そこで、二一〇万一八七八円に右弁護士費用を加えた合計額は、二三一万一八七八円となる。
九 被告慈恵大学の責任
1 前記認定事実に、前掲甲第四号証、第五号証の一、第六号証の一、丙第四号証、第五号証、証人田村展一の証言を総合すれば、慈恵医大病院の内科医師である田村医師が、昭和五六年五月二一日から同年六月一三日までの間、同病院に入院した原告に対し、その主訴である胸痛の原因を探索するため、胸部レントゲン写真、心電図、肺機能、血液検査その他の諸検査を実施したこと、しかしながら、胸痛の原因となりうる器質的疾患は何ら認められなかつたこと、そこで、田村医師は、同年六月一三日、診察の過程で明らかとなつた原告の自己顕示的、誇張的な性格をも考慮に入れ、原告の自覚症状としての胸痛の原因は神経症によるものであるとの診断をなしたこと、田村医師は、同日付で原告の病名を「外傷性胸膜炎の疑、神経症」とする診断書二通と医療証明書と題する書面を作成しているが、一通の診断書(甲第四号証)には、但書として、神経症の発症誘因としての交通事故の可能性は十分考えられる旨の記載があり、他の一通(甲第五号証の一)にはその記載がないこと、また医療証明書(丙第五号証=甲第六号証の一)には、外傷が胸痛の原因とは考えられず、神経症とすれば、その誘因になつている可能性がある趣旨の記載があること、田村医師は、右但書のある診断書を原告に交付し、右但書のない診断書及び医療証明書を訴外株式会社損害保険リサーチの従業員大村力子に交付したこと、田村医師が、原告に交付する診断書に右但書を記載したのは、当時、原告が自覚症状と事故との因果関係がある旨強く主張していたことから、いわば原告を感情的に満足させるためであり、また、保険会社に提出する二通の書面のうち、診断書には但書を記載しないで医療証明書にその旨を記載したのは、医療証明書の方により詳細な記載を求められているとの判断に基づいたものであることがそれぞれ認められる。
2 以上の事実によると、田村医師の診断は、原告の胸痛は、あくまで神経症によるものであって、本件事故との直接的な因果関係はないが、本件事故がその神経症の誘因となつていることまでは否定しないということで一貫しており、診断書もその趣旨で作成されていることが認められるから、田村医師が原告の胸痛と本件事故との因果関係を認めていたのに、それを否定する趣旨の診断書を作成したという原告の主張は理由がない。
3 したがつて、原告の被告慈恵大学に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。
一〇 被告三友会の責任
1 前記四1(三)に認定した事実によれば、杉浦院長は、戸塚中央病院における診察や諸検査の結果、入院中の原告の症状、同病院に入院する二日前に慈恵医大病院で原告を神経症と診断していることなどを総合的に考慮して、原告につき、入院治療を継続する必要はないと判断して、退院を指示したものと認められる。
2 そもそも、入院契約の主たる目的は、病院側において、入院患者の症状を診察し、右症状が通院可能な程度にまで回復するよう治療をなすことにあり、入院治療の必要の有無は、医師の高度に医学的、合理的な判断に委ねられ、医師が当該患者に対し、入院治療を必要としない旨の診断をなし、退院の指示をすることは、それが著しく不相当でない限り、当然に許されるものといわなければならない。これを本件について見ると、前記認定事実によれば、杉浦院長の原告に対する退院指示が、著しく不相当であるとは認められないから、杉浦院長の行為は何ら不法行為を構成するものではない。また、原告は医師法一九条一項の診療義務違反をいうが、退院指示は、診療自体を拒否するものではないから、右原告の主張は失当である。
3 よつて、原告の被告三友会に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
一一 結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告明雄及び同秀幸に対し、各自二三一万一八七八円及びこれに対する本件事故の後である昭和六一年一月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告安田火災に対し、原告の被告明雄あるいは被告秀幸に対する本判決が確定したときは、二三一万一八七八円及びこれに対する前同日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから、これを認容し、被告明雄らに対するその余の請求及び被告慈恵大学、同三友会に対する請求は、いずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用について、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 清水悠爾 宮川博史 今村和彦)